今月読んだ本
今月(2024-10)読んだ本は4冊。
「機嫌よくいろ」と言うのは、相手を黙らせるだけではないでしょうか。神学者で東京女子大学学長の森本あんり先生も『不寛容論』の中で「『相手を心から受け入れ、違いを喜びなさい」というポストモダンのお説教」と表現しており、誠に溜飲が下がります。
いずれにせよ、万物は流転する中で、職場でいきいきといられるならば、それは誠に幸運なこと。無味乾燥に聞こえるかもしれませんが、それ以上でも以下でもありません。なぜなら、私たちのパフォーマンスを左右しているのは自分の能力だけによらないからです。言動の「癖」や「傾向」は個人個人で違いがあります。その「持ち味」同士が周りの人の味わいや、要求されている仕事内容とうまく噛み合ったときが「活躍」であり、「優秀」と称される状態なのではないでしょうか。
ゴールを決めない、「完成」という概念があると、はなから思わない、とはまさに効率やタイバの真逆中の真逆です。未来を決めつけず、今できることを周囲とがちゃがちゃ試してみる。特に膝を打ったのは、(誰が何をしようと)「失敗前提ですよ、完璧があると思ってないので。徐々に、ちょっとずつ変えていけばいいじゃないですか
「運」や「不運」は、各人にとっては、結局は自ら引き受けなければならないものであるとしても、社会の中で、自分の「幸運」は当然自分お権利であり、他人の「不運は」その人の「自己責任」であって、知ったことではないとするのは、同義的に正当とはいえないであろう。「運」「不運」は、他人と分かち合うことによって「偶然の専制」を和らげるべきではなかろうか。
パフォーマンス向上のためのトレーニングとして僕が最初にやるべきことは、どんな出来事に出くわしても思考の流れを止めずにいられるようになることだ。それができるようになったら、今度は何が起きてもそれを逆にアドバンテージとして利用できるようにする。そして最終的には、地震に相当するものを自力で起こせるようになって自給自足を実現させ、外部からの刺激がなくてもインスピレーションの奔流を促すことのできる思考プロセスを身につけるのだ
僕はその心地の悪さを避けようとするのではなく、その状況の中で平安を見いだそうと本能的に考えられるようになった。負傷は格闘技をする者にとって日常茶飯事だが、僕は怪我を負っても痛み止めをできるだけ飲まず、その痛みの感覚をネガティブではない方向に変えるようにしている。僕の本能はいつも、チャレンジが必要な困難を避けようとするのではなく、むしろこちらからそれを探そうとする。
あの時から今日までずっと、僕の肉体トレーニングのほとんどすべてが、形こそ違うものの、ストレス・アンド・リカヴァリーのコンセプトに則ったものになっている。たとえば、ウェイト・トレーニングをするときは、ワンセットを終えて次のセットに入る前に、どれほどの時間を必要としたか正確に観察するようにしている。
人間とは、価値創造によって共同体全体の幸せを実現する、「経営人」なのである。