今月読んだ本

今月(2024-07)読んだ本は6冊。

ジョブ型と軽々しく言っている人たちには、この日本型の採用の自由を捨てるという覚悟が本当にあるのでしょうか。つまり、採用判断の是非はそのジョブに適合する人を就けるという観点でのみ判断されるという事態を受け入れるつもりなのか、ということです。このジョブを遂行するためのスキルがこの程度あるからこの人を採用します、この人はそのスキルがこれだけしかないから採用しません。何か問題が起こったら、そのように説明しなければいけないのです。ジョブ型にするというのはそういうことだという覚悟が、本当にあるのでしょうか。おそらく今、日本でジョブ型をもてはやしている人の中に、ただの一人としてそんな覚悟のある人がいるとは思えません。

仕事ができないのは仕方がないけれども、やる気がないのは許されないという、メンバーシップ型社会独特のこの規範意識が、労働者を否応なく長時間労働に導いていくことになるのは見やすい道理です。試用期間は何のためにあるのか?できますと言っていたのに仕事のできない食わせ者を排除するためにあるジョブ型社会と、やる気のない奴は排除するぞと脅して過重労働に誘導するためにあるメンバーシップ型社会とでは、その位置付けが全く正反対であることが分かります。

日本型雇用に基づく親負担主義に支えられていた幻想のアカデミズムは今やネオリベラリズムの冷たい風に晒されて、有利子奨学金とブラックバイトという形で学生たちを搾取することによってようやく生き延びようとしているようです。そのようなビジネスモデルがいつまで持続可能であるのか、そろそろ大学人たちも考え直した方がいい時期が来ているようです

かくも都合のよい万能の「能力」主義が、しかしながらやがて企業にとっての桎梏に転化し、企業はそこから脱却したいという欲望をたぎらせるようになります。会社に逆らわず唯々諾々と人事命令に従ってきた結果として得られているその高給が、その会社への貢献にはとうてい見合わないと判断されることになった中高年社員たちがそのターゲットです。

欧米ではノンエリートとして猛烈な働き方なんかする気にならない(なれない)多くの労働者が、日本では疑似エリートとして猛烈に働いている、というこの構造は、なかなか切り口の難しい代物です。ある種の左翼論者は、それは資本家に騙されて虚構の出世を餌に搾取されているだけだと言いたがりますが、もちろんそういうブラック企業も少なくないでしょうが、日本型雇用を代表する多くの大企業では必ずしもそうではなく、確かに猛烈に働くヒラ社員たちの中から課長や部長が、そして極めて稀にですが社長が生み出されてきたことも確かです。とはいえ、ではこの構造は人間の平等と企業経営の効率を両立させたすばらしい仕組みだと褒め称えて済ませられるかというと、そうではないからこそ長時間労働が問題になっているわけです。

現実の生活を楽しんでいそうな女子というのは、アニメなどの非現実を求めている一定の層からは拒まれがちだ。しかしそこに少しの意外性が加わることによって『萌え”が完成する場合がある。休みの日にボランティア活動をしている派手な顔立ちのキャラなんてギャルゲーには出てこなそうだが、もし仮にいようものならプレイヤーは「俺にもタダで奉仕してくれ!!」と叶わぬ願いを叫ぶかもしれない

野球選手のダルビッシュ有さんが、インタビューでこんなことを言っていました。ダルビッシュさんは、とある試合のあと「このままでは俺は二軍の選手になってしまう。何かを変えないといけない」と思ったそうです。そのときに「今までの人生は約20年間だったけど一瞬だった。40歳になるまでもまた一瞬だろう」と思ったらしいんですね。そこで、もし40歳になって、選手をクビになって何も仕事がない状態のときに神さまが現れて「一回だけチャンスをあげるから20歳のときに戻っていいよ」と言われたらどうか?と想像したらしいんです。「今、神さまに言われて20年前に戻ってきたんだ。そうしたらどうするか?」と考えると「絶対に努力するよな」と思って、がんばろうと思えたのだそうです。

Written on July 31, 2024