今月読んだ本

今月(2022-07)読んだ本は6冊。

実力も運のうち 能力主義は正義か? Kindle版

両極化が深刻になっている現代、大勢の働く人びとが無視され、過小評価されていると感じ、社会的な結束と連帯の源が何より必要とされている。だとすれば、労働の尊厳についてのこうし た確固たる概念が政治的議論の中心に据えられてもよさそうなものだ。しかし、そうはなっていない。なぜだろうか? なぜ、今日の支配的な政治方針は正義の貢献的側面にも、その土台 をなす生産者中心の倫理にも抵抗を示すのだろうか?
それはわれわれが消費を好むうえ、経済成長が財をもたらしてくれると信じているからだ、という単純な答えが思い浮かぶかもしれない。だが、問題はもっと根深い。経済成長を公共政策の 最優先の目的とするのは、それが物資的恩恵を約束するだけでなく、現代のように対立に満ちた 多元的社会にとってとりわけ魅力的だからだ。経済が成長していれば、道徳的に賛否両論ある問題について議論を戦わせる必要がなさそうに見えるからである。



ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと 単行本 – 2021/7/27

「陸上競技は誰かと一緒に練習するものだよ」とティラフンは繰り返し、「環境も利用しなきゃいけない。起伏のある場所を走らなければならないんだ」
チクセントミハイは、「最高の瞬間は、難しいことや価値のあることを成し遂げようとする自発的な努力によって、心身の状態が限界まで引き延ばされたときに起こる」と述べている。
「走らないで疲れるより、走って疲れるほうがいいよ」ハイリエはバスの窓の外に目をやった。丘の頂上に向かってランナーたちが走ってる。「走ることは生きることだ」



水曜日は働かない (ホーム社) Kindle版

クリストファー・ノーラン監督作品について

『インターステラー』( 2014) の公開を前にノーランはこう述べている。スマホ世代に僕のインセプションが人気なのはあれが心の内側へ内側へと向かっていく話だからだと思う。インセプションは内側に向かってばかりじゃダメだという話なんだけどね。 だからインターステラーでは外に宇宙に向かうんだ。」

だが、『インターステラー』にそれはない。物語的には、宇宙の果で五次元宇宙に接続したクーバーは物語冒頭に提示されたマチズモを確認するだけだ。そして演出的にも観客は宇宙の果てまで旅をしたにもかかわらず、個人の記憶アーカイブ=本棚の比喩で表現される五次元空間の汎用なイメージにしか出会わない。

内面に向き合うだけではいけない、外部を目指すべきだとノーランは説く。しかしこの映画が示すのは皮肉なことにも、しっかりと内面に向き合わなければ世界の果てまで旅をしても、何ものにも出会えないし見つからないし何も変わらないということだ。彼は、自らが結果的に書いてしまったものージョーカーーという存在が体現するものから徹底して目を背け、彼の考える映画(記憶の操作)という手法を通じて、トゥーフェイス的なありふれた家長崩れの男性成人式の救済に特化していったのではないか。

シン・エヴァンゲリオン劇場版について

シンジが四半世紀かけてやっとたどり着いたこの風景の中を、停滞だけが支配する世界を僕たちはずっと前から生きてきたのだ。ゲンドウとシンジの父子が、人並みのマザーコンプレックスの処理と初恋の記憶の清算に手間取っているあいだに、僕たちはこの風景の中でずっと試行錯誤をしてきたのだ。
僕たちは 25 年前に、あの宇部の駅前に投げ出されているのだ。その間に、このゆっくりと壊死していく世界の中を必死にもがいてきたのだ。
中略
あの結末は、この 21世紀の日本の現実を生きてきた僕たちにとっては第 1 話のプロローグに他ならない。だからあのあとあの 二人ーシンジとマリーの間にはいろんなことが、ありすぎるぐらいあるはずだ。

中略
しかしああやってパートナーを見つけることをスタートにすぎないものをゴールであるかのように書いてしまった庵野秀明には、もしかしたらそれはわからないことなのかもしれない。しかし、正しいパートナーを選べば救われてしまうような簡単な世界に 21世紀の僕たちはもう(いや、実はそれ以前からとっくに)生きていないのだ。

花束みたいな恋をしたについて

大抵の場合に僕たちはこのように綺麗な別れを選ぶことはできない。いわゆる『修羅場』を経験するか、あるいは全てを諦めて言葉の最悪な意味での夫婦になることを選ぶ方。しかし、坂本以下のこの映画の作り手たちはそれまでの過程の限界まで追及された高い解像度のもつ説得力の延長にこの結末を書くことで、ファンタジックな展開に最低限のリアリティを与えたのだ。

京都について

もちろん、絵葉書と同じ景色を背景にセルフィーを撮って、名所旧跡でWikipediaを引いて満足して帰る観光客は実のところ何も受け取っていないという批判はよく分かる。ああいう旅は手の込んだ読書以上のものではないと僕も思う。
ほんとうに大事なのは自分の身体を普段とは違う環境に置いて寝泊まりすることで、世界の見え方や感じ方が変わることだ。旅をすることで、僕たちは普段とは違う土地の、違う街で食事をして、寝起きをして、そしてものを考える。普段とは違う環境で日常を過ごす。そうすることで、普段は気がつかなかったことに気づく。世界の見え方が変わる。それが旅の醍醐味だ。
Written on July 31, 2022