「天気の子」予告
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=DdJXOvtNsCY]
映画『天気の子』スペシャル予報
これが世界の秘密だ。
死ぬほど感動する。セカイ系アニメ映画の権化みたいなところある。
ユリイカ 2016年9月号 特集=新海誠 ―『ほしのこえ』から『君の名は。』へ
ぼくたちはいつかすべて忘れてしまう。
大破壊が本当に会ったこと、それは今も遠くで爪痕を残している。そして、残された者たちは真にはそれを経験できていないということが、この作品が新海誠のフィルモグラフィーを封じ込めた、すなわち「セカイ系」の系譜にあるうものだからこそ素朴に暴かれてしまう。シーン(時間)との変異において彼らは肉体的に何も変化を経験しない。しかし記憶は失われてしまう。彼らが忘れてはならないことを身体に文字として刻むのは、やはりアニメに強固なキャラ性が描かれるからこそゼロ年代に一世を風靡するした「ループもの」と共通したテーマを描いた映画「メメント・モリ」のようでもある。けれども『君の名は。』では、それも成し得えない。手にしたペンは取り落とされるのだ。
私が新海誠に関して一番熱意を持って語れるのは
中略
少年少女の物語を執拗に書いているようでいて、実はすべての作品において、男女双方が青年になってしまうこと、つまり成熟拒否的なスタイルではないということです。
近いがゆえに限りなく遠い距離、それは私たちの感じる寂しさを燃え立たせる原資である。近づこうとする行為はその目的を果たすことなく、むしろ自体を悪化させるのであれば、その疎外を積極的に生きることを願ったほうがいい。疎外は自らの運命なのだと感じ、その事実に強く感情が揺さぶられることで、その感情の力強さに、自らの性のカタルシスを見出すことが、何よりも救いとなる。
- 作者: 新海誠
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー
- 発売日: 2016/02/25
- メディア: 文庫
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でもまあ仕方がない。結局は、誰とだっていつまでも一緒に入られるわけではないのだ。人はこうやって、喪失に慣れていかなければならないのだ。
「君の名は」も「天気の子」も川村元気が口出ししなかったバージョンを見たい。