24時間テレビとバリバラ
まずはこのまとめを読んでみて欲しいです。
結構話題になってたから知っている人が多いと思う。
興味深いと思ったので自分の思ったことを。
「感動ポルノ」だったり、障害者に対する「お涙頂戴」的な表現は社会福祉の中では良くないと誰もが思っているし、社会福祉を勉強する多くの人が抗議の意識を持っていて、当然だと思う。
しかし、世間一般はそうでもないところもあり、「お涙頂戴」にお涙をあげている人も多くいる。これは考え方の差なのでまぁ自由だ。
僕は、大災害がおこった時に学生が(例えば五号館と六号館の間で)募金活動をするのを、価値が低いことだと思っている。(もともと募金をする人が呼びかけることでさらに金額を増やすことはないだろう。それなら募金を呼びかける間にアルバイトでもして、そのお金を寄付すればよいのではない?)
でもこれは世間一般の考えとは違っているし、別に募金活動をしている人を非難するつもりはない。ただ価値が低いと評価しているだけ。
これと同じで、24時間テレビでやっている「感動ポルノ」に感動する人が嫌いではない。ただ素直なだけかもしれない。
しかし、何に対して素直なのかは考える必要があると思う。それはTVという一つのものに対して素直なだけだ。
「愛は地球を救う」
というキャッチフレーズがあって、妹の見てるのをチラ見したが、道ですれ違った人などに「あなたにとって愛とは何ですか?」と聞く。とっても軽率で下品なことだと恥じるようなだと思う。
「愛とは◯◯◯◯です」
みたいな答えが返ってくる。
愛を、そんなものがあると思い込んでしまっていると思い込んでしまう要因ではない?と思ってしまう。
少し、騙されているよと。もっと客観的に見たほうが良いよと。
要するに押し付けないでほしいということです。
最初から喧嘩腰の議論だったり、物事の一面しか見せないで押し付ける姿勢は、意見どうこう以前に嫌悪されるものです。言ったものが勝ち、思考停止させるような姿勢は、見世物としては低級なんです。
だから、もう少し僕はTVを見ないと思う。
高畑裕太も高畑凛子も全く知らなかったので、その騒動で消費された時間とかカロリーは僕はゼロ。これはちょっとうれしいことだなぁと思ったりする。
でも、なんで最初に書いたように「考え方の差なのでまぁ自由」なことをブログに書くのか。それは、大勢の人が、「感動ポルノ」に感動されない、他の人のことを考える余裕があるようになったり、愛を無自覚のうちに絶対的なものにされてしまうような考えから脱出できたら、少し未来が豊かで楽しくなるんじゃないかなぁと思ったからです。