餅つき大会と拡張現実

幼稚園のころ一年に一回餅つき大会があった。杵を持たせてもらい。「ぺったんぺったんおーもーち」の掛け声とともに駐車場っぽいところで餅をつく。幼稚園生なりに楽しみだったのを覚えいてる。

その餅はお昼ごはんに食べられることになっていて、その日には、きなこと醤油が用意されていて、みんなでついたお餅を食べてハッピーということになっている。

しかし、小学校に上がってからだろうか。ある秘密を知ってしまう。

その昼ごはんに食べるお餅はみんながついたお餅ではないのだ。

どういうことか。

その幼稚園で使っている臼と杵はかなり前から使っているもので、普通に使うと木くずが大量にでて、食べられるものではなくなってしまう。なので、普通にスーパーで売られている餅をレンジでチンしたものを食わされていたのだ。

でも、そのときに食べたお餅は確かに美味しかった。

みんなでついたお餅だった。

拡張現実が話題ですね。

拡張現実のゲームで人を殺していたら現実と見分けがつかなくなる人が出てきてしまうのではないか問題がまた聞こえます。

実際にいるでしょう。

それから、幸せもシュミレートすることが出来ますね。

VR彼女、VR彼氏や、アダルトVRの話題が聞こえてきます。

本物じゃないと満足できない?

想像では意味が無い?

ディズニーランドの夢の世界は本物?

お金を払ってまで夢の世界を買っていて、それで満足している。

帰ってからはわからないけれど、その瞬間は夢だということも忘れて楽しむことができる。

VRもきっとそうだと思います。

きっと拡張現実だということも忘れて満足出来ると思います。

燃料不足が深刻になり、かつ技術が進歩したら幼稚園児は拡張現実で遠足に行くでしょうね。ガソリンでわざわざ遠いところまで行くなんて燃料の無駄ですから。

幼稚園児が教室でプレーステーションVRみたいなのをつけてる姿は変でしょうか?

変だと思うその心こそ変に、なってるでしょうね。

そのときに行った遠足は確かに楽しかった

みんなで遊んだ遠足だった。

夢が現実に近づくということはどんなことでも面白いです。

Written on July 14, 2016